2016年10月26日水曜日

荻島安二 作 三菱倶楽部 端艇部 メダル


サインから荻島安二の作だと思われる昭和6年の「三菱倶楽部 端艇部」メダルです。

↓今まで紹介した荻島安二のメダル
http://prewar-sculptors.blogspot.jp/search?q=%E8%8D%BB%E5%B3%B6%E5%AE%89%E4%BA%8C

図柄はサロメがヨハネの首を捧げるように王冠を持った女性像。
荻島安二らしい昭和初期デカダンな作品です。
他の水泳競技にこういった洒落た図柄はあまり見ません。
ボート競技って、テニスやゴルフといったハイソなイメージを持つスポーツなんでしょうね。

三菱倶楽部 端艇(ボート)部ですが、三菱では多くのスポーツクラブを持ち、ボートでは内漕艇大会が開催されていたそうです。
1917年の大会には、4代目総帥岩崎小彌太自ら選手として年長者番外レースに出場したと言います。
このような比重を置いた活動によって、荻島安二というお洒落男にメダル原型を頼む流れになったのでしょう。

小さなメダルですが、凄く素敵。

2016年10月18日火曜日

Intermission お伊勢参り

先週末は伊勢神宮へ参拝に行って来ました。
神嘗祭前日でもあった為か、それほど人もなく、外宮から内宮へとゆっくり廻ることができました。


途中、外宮にて祭主池田厚子様をお見かけ致しました。
翌日の神嘗祭の準備だったのでしょうか。

神宮といえば、外宮には「豊受大御神」が、内宮には「天照大御神」が祭神として祀られております。
とはいえ、そのお姿を描いたものは、意図的に排除されているようです。

嘗て伊勢神宮の外には宇治古市と言われる遊郭が立ち並びました。
「伊勢参り 大神宮にもちょっと寄り」という川柳が歌われるほど、伊勢参りのメインとも言えるような賑わいだったといいます。
その頃には、大津絵のように天照を描いた絵なんかも売られていたでしょう。
それが、国家神道となっていく中で、伊勢神宮も厳格化し、「神」の像を排除していったのだと思います。

しかし、実は神宮内には天照の像が安置されていると言います。
それが彫刻家「越智綱雄」による木彫作品です。
戦前から始まるその像の制作でも、当時の神祇院が「神像は具現すべきでない」と待ったをかけます。
そこで越智は日本神道思想の大家、今泉定助に会いに行き、その思いを説いて納得させたのだそうです。
越智が疎開していた間、この像は横山大観の倉庫に保管され、終戦後昭和26年に遂に完成します。
そんな天照の像を一度見てみたいものです。



2016年10月10日月曜日

堀江尚志 続報


前回、堀江尚志の鶏レリーフについて、書き込みを頂きました。
SAKO様ありがとうございます。

書き込み頂いた内容ですが、製作者として書かれているのは、盛岡の南部鉄器職人「三代目髙橋万治」ではないかということです。
もし、そうであれば、この鶏レリーフは南部鉄器かもしれないということですね。

絵葉書は、盛岡の志士「横川省三」の銅像です。
この銅像もまた、堀江尚志が原型を制作し、髙橋万治が鋳金を行い、昭和6年に建立しました。
http://www.morioka-times.com/news/2012/1205/28/12052802.htm
↑によると、台座を入れて高さ8m、銅像だけで高さ3.3mと、堀江作品では最大のものでしょう。
当時の盛岡市長がこの銅像の発起人とのことなので、盛岡出身で若手新鋭彫刻家の堀江尚志を選んだと言うことなのでしょうか。
この二方のタッグで、他に作品があるのか気になるとこころです。

この「横川省三」の銅像ですが、どこかロダンのバルザックのようです。
直立不動で静的なシンメトリーの姿は堀江尚志の特徴を感じさせますね。

2016年10月2日日曜日

堀江尚志に就て

突然変異による特異点が生まれ、徐々に必要なカタチに推移していくような進化。
めちゃくちゃ首の長いキリンが生まれ、その子孫が徐々に現代のサイズとなっていくような....
そんなのが実際あるのかどうかわかりませんが、戦前の彫刻についてはあると思っています。

そんな特異点の作家とは、橋本平八堀江尚志です。
特に堀江尚志がそうですが、舟越保武ら同世代の彫刻家に大きな影響を与えます。
そして、私の思うところではどんな作家も彼ら自身を超えることはできなかった。

彼らの特徴は、その近代性(モダン)です。
橋本平八の現代性というとわかり辛いですが、過去を志向する「右派」と革新を志向する「左派」が、どちらも社会革命を目指している点で同じだということです。(さらにわかり辛いか...)

堀江尚志の作風も、エジプト彫刻やロダン、マイヨールなどからの影響はあると思いますが、より洗練されており、戦後のモダンな日本人像彫刻の祖となります。

ここで重要なのは「日本人像」だということです。
簡単に言えば、堀江は日本人を初めてモダンに描いた彫刻家なのだと。

当時、彫刻というのは、モデルをそのまま描くものでありました。
ただし、当時の日本人は「近代的」な視点で美しいとは言えず、よって彫刻作品もそうでした。
そこで、堀江以前から作家による抽象化がなされ、できるだけ美しい顔、形へと工夫がなされます。
絵画においては、明治以降の絵画に多く見られるように、まるで西洋人のような日本人が描かれます。
しかし大正時代となって、「カワイイ」がモダンに取り入れられた結果、特に日本人女性像の描き方に変化が現れ、より「モダン」な日本人像を描く手法が確立しだします。

彫刻においては、それが堀江尚志なのだと、私は考えています。
その完成形が彼の「少女座像」ではないかと。

さて、ここで堀江作品(伝)の紹介です。



彼の作品に「」はありますが、この鶏は本当に彼の作かどうかよくわかりません。
裏側に「某卵店主の注文にて作りたる珍品なり」「堀江尚志作品」「原作堀江氏」「制作馬橋○造」とありますが、この製作者もよくわかりません。
といいますか、橋本平八に比べ、堀江の資料が少なすぎてなんとも...
この作品が今後の研究材料になればと願います。

牧雅雄に陽咸二、そしてこの堀江尚志と、昭和10年に亡くなった作家作品は、少しづつでもコレクションしていきたいです。