2018年3月14日水曜日

Intermission 靉嘔 ~70年代の本

特にコレクションしているわけではありませんが、手元にある本を紹介します。
アーティスト「靉嘔」が1970年代初頭に出版(?)した本だと思われます。

現在、埼玉県立近代美術館で「版画の景色 現代版画センターの軌跡」が開催中で、「靉嘔」の作品も展示されているようですね。



さて、この本ですが、版元が無いことから自費出版だと思われます。
内容としては、当時の靉嘔の雑文から、手紙、雑誌に記載した文が載せれられています。

久保貞次郎との手紙のやり取りや、イサム・ノグチとの日々、福井の人との関係、オルデンバーグやウォーホルとのイベント等、大変興味深い。
ここに書かれていることの多くは、彼のアーカイブ「靉嘔オーラル・ヒストリー 2011年11月6日」と同じです。(当たり前ですが)
ただ、作品の画像は殆ど載せていません。この当時は、作風を限定されることを嫌がっていたのかもしれませんね。

私としては、彼の作品をどう見たら良いのか分かりかねていたのですが、この本の一文でなんとなくわかるような気がしました。
「アメリカのポロックなどのアクションペインターは自然主義なんですよ。しかし土壌が違うから個人の合理性が根本にあるわけですね。・・・合理的な土壌がなければ、ぼくはいやだという気がする。・・・日本の場合は違いますね。拒否するものというのではなしに.....。」
彼は、(当時の)日本の湿った自然主義を嫌って、アメリカのポップを求めたのでしょう。
とは言え、私から見れば靉嘔のポップも大概に湿っているように感じますが。
まさに「拒否するものというのではなしに.....」なんでしょうね。

この湿り気は、例えば斎藤真一のポップにもあり、横尾忠則のポップにも感じます。
それに村上隆もそうです。
逆に感じないのは、草間彌生に日比野克彦、奈良美智...

あぁ、「靉嘔」は日本的な作家で、その文脈上にあるのだと、そう思いました。

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