2017年10月14日土曜日

近代日本メダル史

明治期から太平洋戦争終結までの間の日本メダルの歴史をまとめてみました。
今後も、この忘却された美術史をさらに深く掘り下げていきたいですね。

年代 出来事
1867年(慶応3年) パリ万国博覧会にて、薩摩藩が日本の代表を称し、フランスのレジオンドヌール勲章を摸した「薩摩琉球国勲章」を制作、ナポレオン3世以下フランス政府高官に贈る。
1869年3月17日(明治2年2月5日) 新政府の太政官中に造幣局が設置される。
1869年(明治2年)7月 彫金家加納夏雄とその門下益田友雄は新1円銀貨貨幣の図案及び見本貨幣を試作する。
1871年10月15日(明治4年9月2日) 政府が賞牌(勲章)制度の審議を立法機関である左院に諮問する。
1873年(明治6年)3月 細川潤次郎、大給恒ら5名を「メダイユ取調御用」掛に任じ勲章に関する資料収集と調査研究に当たる。
1875年(明治8年)4月10日 賞牌欽定の詔を発して賞牌従軍牌制定ノ件(明治8年太政官布告第54号)を公布し勲等と賞牌の制度が定められる。
1875年(明治8年) 有栖川宮幟仁親王以下10名の皇族が叙勲される。
1876年(明治9年) 台湾出兵の功により西郷従道が勲一等に叙された。また同年には、清国との交渉に功のあったアメリカ人のルジャンドルとフランス人のボアソナードが最初の外国人叙勲として勲二等に叙される。
1876年(明治9年)10月12日 正院に賞勲事務局(同年12月に賞勲局と改称)を設置し参議の伊藤博文を初代長官に、大給恒を副長官に任命する。
1876年(明治9年)11月15日 太政官布告により、賞牌は勲章(従軍牌は従軍記章)と改称される(明治9年太政官布告第141号)。
1877年(明治10年)8月 第1回内国勧業博覧会開催。加納夏雄による龍紋章賞牌が制作される。
また、博覧会の第1類其の3として貨幣やメダルが展示される。
1890年(明治23年) 武功抜群の軍人軍属に授与される金鵄勲章(功一級から功七級の功級)が制定される。
1894年(明治27年) 日清戦争勃発。
1902年(明治35年)3月 新海竹太郎が太平洋画会展に「少女浮彫凹型」及び「婦人メダル用原型」を出品する。
1903年(明治36年) フランスから東京美術学校に、メダル作成の為に用いるジャン・ビエー式縮彫機が導入される。
1903年(明治36年) 第五回内国勧業博覧会の名誉賞杯として、海野美盛が縮彫機を用いてメダルを制作する。
1903年(明治36年) 萩原守衛が生活したニューヨークのフェアチャイルド家にて、フェアチャイルドを描いたメダル原型を制作する。
1904年(明治37年) 日露戦争勃発。旅順港のロシア艦隊を日本海軍駆逐艦が奇襲する。
1904年(明治37年) フランスから造幣局にジャン・ビエー式縮彫機が導入される。
1904年(明治37年) 海野美盛が欧米遊学より帰朝する。東京彫工会主催第19回彫刻競技会にて、欧米のメダル原型や各国のメダル標本等を参考出品する。
1910年(明治43年) 造幣局の甲賀宣政、ベルギーにて「万国銭貨学大会」に参加する。
1910年(明治43年) 造幣局にてジャン・ビエー式縮彫機を用いたメダル作成が始まる。
1910年(明治43年) 戸張弧雁が太平洋画研究所彫塑部に入り、メダル原型を制作する。
1911年(明治44年) 大日本体育協会が創立。初代会長として嘉納治五郎が就任。オリンピックや極東選手権大会などに選手を送る。
1913年(大正3年)2月1~6日 マニラにて第一回極東選手権競技大会が行われる。
1915年(大正5年) 高村光太郎による園田孝吉銅像完成。同じく記念メダルを制作する。
1915年(大正4年) 畑正吉が、造幣局の賞勲局技術顧問(嘱託)として記念メダル彫刻を手がける。
1916年(大正6年) 斎藤素巌が英国ロイヤル・アカデミーを修了し、帰朝する。
1918年(大正7年) 日名子実三が東京美術学校を首席で卒業。メダル制作を始める。
1920年(大正9年) ベルギーで開催されたアントワープ五輪にて、熊谷一彌選手がテニスのシングルス・ダブルスともに準優勝し、日本人初の2つの銀メダルを手にする。
1923年(大正12年)9月 関東大震災起きる
1924年(大正13年) 第1回明治神宮競技大会開催。1943年(昭和18年)の14回大会まで行われる。
1926年(大正15年) 齋藤素巌や日名子実三によって構造社が組織される。
1926年(大正15年) 写真雑誌 アサヒカメラ 第1巻発刊。写真コンテスト賞牌メダルの需要が生まれる。
1927年(昭和2年) 「第一回塑像展覧会 構造社」が開催される。以下ほぼ毎年行われる。
1928年(昭和3年) オランダのアムステルダム五輪に出場した織田幹雄選手が陸上男子三段跳で金メダルを獲得する。記録は15m21cm。
1932年(昭和7年) ロサンゼルス五輪の芸術競技大会に日名子実三らが出品。長永治良による版画「虫相撲」が等外佳作として入賞。
1935年(昭和10年) 日名子実三や畑正吉らによって第三部会が組織される。
1936年(昭和11年) ベルリン五輪の芸術競技大会参加。長谷川義起の彫刻「横綱両構」が等外佳作として入賞。
1937年(昭和12年) 日中戦争(支那事変)起きる。
1937年(昭和12年) 学術、芸術上の功績があった者に対し授与される単一級の文化勲章が制定される。
1940年(昭和15年) 予定されていた東京での夏季オリンピックが取止めとなる。
1940年(昭和15年) 第三部会が国風彫塑会と改称される。
1941年(昭和16年) 太平洋戦争(大東亜戦争)始まる。
1945年(昭和20年)4月25日 日名子実三、脳出血により死去する。
1945年(昭和20年) 終戦。 

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