2017年4月22日土曜日

畑正吉 渡仏時代の写真

彫刻家、畑正吉は1907(明治40)年から3年の間、農商務省海外実業練習生として渡仏します。
当時の写真がご遺族より東京文化財研究所に寄贈され、公開されたようです。
http://www.tobunken.go.jp/materials/hatapict/242722.html

畑の他には藤川勇造や安井曾太郎の顔が見られます。
特に注目なのは、「菅原精造」と「菊地鋳太郎」です。

菊地鋳太郎は、1859(安政6)年の江戸に生まれ、1876(明治9)年に工部美術学校の彫刻学科に入学、ヴィンチェンツォ・ラグーザの指導を受けます。
工部美術学校は後に廃校となりますが、彼は日本塑像家最古参の一人です。
http://www.tobunken.go.jp/materials/hata_18591945

>1910年には自らヨーロッパを巡遊して西洋美術の石膏像を購入し、事業の拡大を図った。
とあるように、美術教育の基礎に関わった人物のようです。

菅原精造郎ですが、この人は凄いですね。
1884(明治17)年山形県生まれ、東京美術学校の漆工科撰科に入学。
1905年渡仏し、生涯をパリ中心に過ごす。
アイリーン・グレイとの知遇を得、彼女と共同制作した「夜の魔術師」をサロンに初出品、評判を呼ぶび、フランスの地で漆芸家として活躍。

ナチスの迫る1937年のパリ郊外ロスチャイルドのシャンティイ別荘で肝臓癌の為、54歳で逝去したそうですが、ロスチャイルドの別荘ってなんなの!って感じですね。
シャンティイ別荘とは、古城ホテルとして名高いシャトー・ドゥ・モンヴィラルジャンヌだろうと思われます。
http://www.chateaudemontvillargenne.com/

その作風は、アール・デコであったと言いますが、これはまさに抽象彫刻ですね。
http://hibiyal.jp/data/card.html?s=1&cno=2938
日本人に、こういった人物がいたのですね。
注目です!!

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