2016年12月18日日曜日

日本メダル黎明期

日本メダル黎明期について、簡素にまとめます。

まず、1871年10月15日(明治4年9月2日)、新政府は賞牌(勲章)制度の審議を立法機関である左院に諮問。
1873年(明治6年)3月には細川潤次郎、大給恒ら5名を「メダイユ取調御用」掛に任じ勲章に関する資料収集と調査研究に当たらせた。
結果、1875年(明治8年)4月10日、賞牌欽定の詔を発して賞牌従軍牌制定ノ件(明治8年太政官布告第54号)を公布し勲等と賞牌の制度が定められた。
(Wikiより)

明治8年:賞牌従軍牌図式

明治初期には、彫金師や錺師による一品制作、手彫りの原型でした。
明治36年、東京美術学校、翌年造幣局にフランスからジャン・ピエー色式縮彫機が導入されます。
この機械によって、メダルの複製と量産が可能となりました。
当時の日本人には繊細すぎる機械だったようで、明治43年に、やっと造幣局でも使用されます。

さて、こうやって始まった日本のメダルですが、それに関係するのかどうかわかりませんが、ちょっと面白い資料を偶然手に入れたので、覚えとしてここに記します。

明治44年11月5日、考古学会発行「考古学雑誌」より
「1910年万国銭貨学大会報告 工学博士 甲賀宣政」

この会議では、貨幣のみでなく、賞牌についての論文と研究発表がなされたようです。
いくつか抜粋します。

リチ氏:伊太利復興賞牌
ボスシ氏:ルチリオ、ガチ及び歴史文献として賞牌の切要
ストラー氏:白耳義皇妃シャーロッタ、オーギャスタの賞牌
マーシャル氏:現代賞牌論、賞牌術に於ける肖像及び著作権
ヘルンライト氏:賞牌の技術
ウイエッケ氏:現代極印製造に彫刻機の応用
コワルイツイク氏:最近六十年間独逸賞牌術の発達
ブレンナー氏:合衆国に於ける賞牌進歩の概略
etc...

発表の後には、皇立図書館に集まり賞牌収蔵所を見学したとか。

この報告書には詳しく書かれていませんでしたが、この大会はベルギーで行われたようです。
また、甲賀宣政は、造幣局試金部長だった人物。
1910(明治43)年のこの会議が、造幣局での縮彫機使用を促したのかもしれません。

ただ、中には、『近年賞牌の品質太だ下降せり往時の如き壮厳なるもの典雅なるものを作らんには唯々手彫りに復奮するより他に良法なし』という意見もあったとか。

それと、興味深かったのは彫刻家の著作権についてで、『白耳義に於ては美術家が注文を引受るには普通契約の手続を要す又一方の承諾なくして再び打製することを予防する』
『原型を造幣局に預け置き之を再用するには作者及び注文主双方の承諾を要する』云々

流石本場です。日本の場合はどうだったろう?
明治頃の銅像建設は大きなお金が絡むから契約があったようですが、著作という観点からは現在でも怪しい。
作者及び注文主双方の承諾」ですよ、注文主が独占するわけではないのですね。
最後に『美術家は契約により各自の利益を保護すべしと決議せり』という一文あって、泣けます。


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