2015年10月2日金曜日

喜多武四郎の葉書 純粋彫刻論


昭和16年、彫刻家 喜多武四郎による昭森社の森谷均宛の絵葉書です。

昭森社は1935年に創業した出版社で、美術書や詩集を多く手掛けました。

この葉書の内容は、「例の橋本平八君の遺稿出版の件」と、1935(昭和10)年に亡くなった橋本平八の遺稿、実弟で詩人の北園克衛によって出版される「純粋彫刻論」について、経過はどうかと尋ねています。

喜多武四郎は、橋本平八と同い年であり、また同じ日本美術院の同人でもあったことから、なおさら気にかけていたのでしょうね。
そのために、養生先の宮城の青根温泉からこの絵葉書を送ったのでしょう。
そんな喜多武は、昭和11年に美術雑誌「アトリエ」に亡くなった橋本平八を偲んで「橋本くんを憶ふ」と文章を寄せ、ロッククライミングの綱が突然切られたようだと友の死を悲しんでいます。

この絵葉書が送られた翌年。昭和17年に、「純粋彫刻論」は出版されます。
     

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