2014年2月26日水曜日

Intermission 書票 ソノ弐


朝倉文夫著「民族の美」より、朝倉文夫の書票です。
昭和17年出版の本ですが、洒落た大正モダンなデザインですね。
前回の高村光太郎の朱印と違い、これは緑色の判が効いています。
猫好きだった朝倉文夫、可愛いのが好みだったのでしょうか。

2014年2月23日日曜日

Intermission 書票 ソノ壱

書票(蔵書票)は「本の見返し部分に貼って、その本の持ち主を明らかにするための小紙片。より国際的にはエクスリブリス(Exlibris、「だれそれの蔵書から」という意味のラテン語)と呼ばれる。」もので、今で言うコピー商品ではない、オリジナルを示す為のサインです。

凝ったデザインのものもあり、今ではコレクションアイテムにもなっています。

今日は、そんな書票の内、高村光太郎の本より、手元にあった「続ロダンの言葉」と「美について」から紹介します。

 

まずは、 「続ロダンの言葉」の書票です。
実は、光太郎の書票って、そんなに凝ってない。
まぁ、可愛くはありますけどね。
 

次は、 「美について」の書票です。
前よりは少し進化。
図案はシダの様ですが、なんだろう?
ワラビ?
調べてみたら、昭和13年、高村光太郎によるコゴミ(クサソテツ)について書かれた文があるようだ。

こごみの味
『ワラビのようだがワラビよりも歯ぎれよく、ぜんまいのようだがぜんまいよりもしゃっきりしている。ただの煮つけではあるが、その色青磁の雨過天青という鮮やかさにまがい、山野の香り箸にただよい、舌ざわり強く、しかも滑かで、噛めばしゃりりといさぎよい。分厚なお小皿に無雑作に盛られたのを黄塗りの長い竹箸でつまみながら、「これは何ですか」ときくと「コゴミ」だという。「コゴミって何ですか」ときくと「山にあるワラビみてえなもの」だという。私は懐から植物図鑑を出して引く。「クサソテツ」の事と分った。あの範谷の湿地を埋める獰猛な「クサソテツ」の芽がこんな微妙な高雅な前菜ものとなる事を知り、西国の落武者の隠れ里であったというこの藤原の村の娘の面だちに今でも残るゆかしい余薫と共に、今日まだ忘れ難い記憶となっている。』

これかな??


2014年2月9日日曜日

中野五一作 「寒山」像


 

 中野五一作 「寒山」

この「寒山」像は「寒山拾得」と言われるその一人を指しているものだと思われます。

「寒山拾得」とは、『中国で唐代に浙江省にある天台山の国清寺に居たとされる伝説的な風狂の僧』です。日本では絵画の題材としても扱われています。曾我蕭白の作品が有名ですね。

絵画だけでなく、この「寒山拾得」は近代文芸としても扱われます。
これを題した作家に森鴎外、井伏鱒二、芥川龍之介。また、坪内逍遙の舞踊劇にもなっています。
彫刻家では、辻晋堂が「寒山拾得」をよく作品名としています。
僕の持っている作品では、上記の中野五一作以外に中野桂樹作の木彫があります。

 
中野桂樹作 寒山像

これほど日本人に愛された「寒山拾得」の物語ですが、そのどこに惹かれるのでしょう。
芥川龍之介の作品を読むと、彼らの存在が、一つのカウンターカルチャーになっているからではないかと思われます。
人として生きる上で必要な道徳や正しさに、別の視点を与えてくれるものとしてあったのではないでしょうか。
まさに宗教とは、特に仏教とはそういったものであり、また芸術もまたそんな目的を抱くものだからこそ、これを題材としたのでしょう。

では、この「寒山拾得」の与える別の視点とは何か。
寒山は、『その風姿は、痩せこけたもので、樺の冠をかむり、衣はボロで木靴を履いた奇矯なものであったという。食事は、国清寺の厨房を任される拾得から残飯を得ていた』そうです。
でありながら、『山中の諸処に書かれていた詩300篇余りが発見され、それが『寒山子詩』であるとされている』のです。

森鴎外の作品には、寒山がそんな生き方をしながらも、なぜこれほど多くの詩篇を作り上げられたのかのかを書いています。

『つぎに着意して道を求める人がある。専念に道を求めて、万事をなげうつこともあれば、日々の務めは怠らずに、たえず道に志していることもある。儒学に入っても、道教に入っても、仏法に入っても基督クリスト教に入っても同じことである。こういう人が深くはいり込むと日々の務めがすなわち道そのものになってしまう。つづめて言えばこれは皆道を求める人である。』

つまり、生きるための道徳や正しさといった規範から退き、「道」を求めるという別の視点で世界を見たとき、たとえ同じ行為でも、また人から劣ったと言われるありさまでも、苦痛や後悔の生活でも、そこには美の価値観が宿るのだと。

現代の社会で、この「寒山拾得」の物語がどこまで必要とされるのかわかりませんが、僕は、これらコレクションを見るときくらいは思い出したいですね。

2014年2月2日日曜日

幻のメダル...のレプリカ!

このメダルは、大東亜戦争に従軍および要務に携わったことを表章するために作製された「大東亜戦争従軍記章」のメダル...のレプリカになります。
実際はレプリカとも違い、日本郷友連盟が戦後発行した記念品でして、実物とは若干デザインがことなります。
実物と言いましたが、実は市場にあるのこのメダルは、殆どレプリカです。
その理由は、授与が行われる前に敗戦となったため、戦後に破棄や米軍に接収されたことによります。
そのため、幻の従軍記章となりました。

そして、このメダルの原型を作成したのが日名子実三。
つまり、このメダルは戦時における日名子最後の作品となったわけです。
日名子は終戦の年の4月に亡くなります。
そんな時代に日名子は何を考え、このメダルを作成したのだろうか。