2014年2月9日日曜日

中野五一作 「寒山」像


 

 中野五一作 「寒山」

この「寒山」像は「寒山拾得」と言われるその一人を指しているものだと思われます。

「寒山拾得」とは、『中国で唐代に浙江省にある天台山の国清寺に居たとされる伝説的な風狂の僧』です。日本では絵画の題材としても扱われています。曾我蕭白の作品が有名ですね。

絵画だけでなく、この「寒山拾得」は近代文芸としても扱われます。
これを題した作家に森鴎外、井伏鱒二、芥川龍之介。また、坪内逍遙の舞踊劇にもなっています。
彫刻家では、辻晋堂が「寒山拾得」をよく作品名としています。
僕の持っている作品では、上記の中野五一作以外に中野桂樹作の木彫があります。

 
中野桂樹作 寒山像

これほど日本人に愛された「寒山拾得」の物語ですが、そのどこに惹かれるのでしょう。
芥川龍之介の作品を読むと、彼らの存在が、一つのカウンターカルチャーになっているからではないかと思われます。
人として生きる上で必要な道徳や正しさに、別の視点を与えてくれるものとしてあったのではないでしょうか。
まさに宗教とは、特に仏教とはそういったものであり、また芸術もまたそんな目的を抱くものだからこそ、これを題材としたのでしょう。

では、この「寒山拾得」の与える別の視点とは何か。
寒山は、『その風姿は、痩せこけたもので、樺の冠をかむり、衣はボロで木靴を履いた奇矯なものであったという。食事は、国清寺の厨房を任される拾得から残飯を得ていた』そうです。
でありながら、『山中の諸処に書かれていた詩300篇余りが発見され、それが『寒山子詩』であるとされている』のです。

森鴎外の作品には、寒山がそんな生き方をしながらも、なぜこれほど多くの詩篇を作り上げられたのかのかを書いています。

『つぎに着意して道を求める人がある。専念に道を求めて、万事をなげうつこともあれば、日々の務めは怠らずに、たえず道に志していることもある。儒学に入っても、道教に入っても、仏法に入っても基督クリスト教に入っても同じことである。こういう人が深くはいり込むと日々の務めがすなわち道そのものになってしまう。つづめて言えばこれは皆道を求める人である。』

つまり、生きるための道徳や正しさといった規範から退き、「道」を求めるという別の視点で世界を見たとき、たとえ同じ行為でも、また人から劣ったと言われるありさまでも、苦痛や後悔の生活でも、そこには美の価値観が宿るのだと。

現代の社会で、この「寒山拾得」の物語がどこまで必要とされるのかわかりませんが、僕は、これらコレクションを見るときくらいは思い出したいですね。

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